Never Withered Flowers

宝塚歌劇団と2010年代のK-POPを愛する、20代会社員のブログ。星風まどかさんと芹香斗亜さんに心を奪われています。宙組ファン。

月組「今夜、ロマンス劇場で」@宝塚大劇場

ロマンス劇場のそもそもの設定について、かなりネガティブなことを書いています。そしてネタバレしています。要注意です。

 

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お互いに触れられない、という設定に馴染めないまま、観劇を終えました。

 

健司と美雪は、お互いに触れたいんですよね?

でも触れたら美雪は消えてしまう。だから健司がこの世を去るそのときまで、決してお互いに触れることはできない。

 

お互いに触れたい、キスをしたい、ってことは、多かれ少なかれ、性的な欲求はあると思うのよ。だからさ、すんごい余計なお世話なことは分かってるんだけどさ、健司は他の女の人と、あんなことやこんなことがしたいな〜って思っちゃったりするんじゃないかな?とか思ってしまったのです。美雪への愛と、そういう欲求っていうのは別物だと思うんです。ごめんなさい、許してください…。

 

健司は別に誰に触れても消えないわけよ。

でも美雪はこっちの世界にいる限り、誰ともそういう関わりは持てないの。

しかも美雪はずーっと若くて美しい姿のまま。健司はどんどん年老いていく。

でも美雪はそんな老いていく健司のことも愛し続けるんだよね。

 

なんかそれって…健司にとって都合が良すぎませんか?処女信仰的なものを感じてしまって、気持ちが乗らなかった。

 

宝塚だから、健司はいつまで経っても美しくて、清潔感があります。

だからまだ、ああ純愛だなあ、と思って見れたけれども、これもともとは映画じゃないですか?原作映画とどれくらい話の筋が違うかは知らないけど、大きな設定は一緒ですよね?なんだかなあ…こんな設定でいいのか?これみなさん違和感ないんですか?そんな素直に感動しちゃっていいんですか!?と、周りから鼻をすする音が聞こえてくる中で思いました。(笑)

宝塚自体が夢の世界だから、なんとかこのストーリーを受け入れられた、かな?っていう感じです。

 

なんでこんなこと思っちゃったのか、言い訳的なものを書かせてください(笑)

私は一般企業に勤めてまして、周りは圧倒的に男性が多い環境です。仲の良い先輩にも男性が多い。

で、結構もう結婚してる方が多いんですよね。いろいろ話を聞くと、パートナーがいても、まあそういう大人の夜のお店に行ってたり、いわゆる不倫相手がいたり…っていう話を聞いたりするんです(笑)

だから、そういうものへの欲求っていうのは、誰かを愛する気持ちとはまた別にあるんだろうなあと最近感じることが多くてですね…。

 

私もなんだか大人になってしまったなあ、というか、すっかり世間に毒されてしまったなあ、と思った観劇でございました。はあ…。